2004年04月30日

五月に寄せて

 時は五月、我々は若い、と、アルトハイデルベルグの王子様が仰った。
 いつどこで、何で覚えたのか忘れましたが、このフレーズが気に入って、アレやコレやに使いたくった若い日がありました。
 その五月が今年もやって来ました。
五月五日は端午の節句、五月の端(はじめ)の午(うま)の日と言うのやそうで、粽と柏餅、粽は中国伝来、さてその故事来歴一通り、マ、お聞き下され。
 チチチン、昔、中国が春秋戦国時代楚の懐王に仕えた屈原(くつげん)と言う人、日本人の好みで文武両道の達人、とも申しますが、、ホンマは清廉潔白の学者で憂国の詩人、武の方は……どうや判りまへん。
 初めはかなり重用されたんですけど、ざん言によって疎んぜられ、頃裏王(けいじょうおう)の代には江南に飛ばされてしまいます。やがて屈原が心配したとおり秦が侵入して楚は滅んでしまいます。絶望と煩悶の屈原は泊羅(できら)という渕に石を抱いて身を投げます。
 江戸の通人蜀山人は「死なずともよかるべきらに身を投げて偏屈原と人は言うなり」と、詠んでおります。
 何がさて屈原の死を悼む人々は、その亡骸をむざむざ魚の餌食にさせまいと、米を竹筒に入れて渕に投じ、これで魚の気をそらした。この日が五月五日で有ったので、毎年、命日に当たる五月五日に餅米を笹の葉に巻いて蒸した粽を供えるようになって、何時の間にやら端午の節句とひっついたのやそうでおます。
 もう一つの柏餅は小豆あんと味噌あんがおますのやけど、物のの本によりますと、小豆あんの時は柏の葉の表を外側に、味噌あんの時は柏の葉の裏を外に出したものやと申します。柏餅の裏表、ご退屈原のお粗末……どんどん、チャカチャンリンチャンリン

posted by EMI at 00:00| Comment(0) | 五郎兵衛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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